感情論の定式化
- 「感情論 vs 論理的」はナンセンス
- 感情論も定式化できないか??
- 修辞学というものがあった→調べてみよう。。。
感情論vs論理的・理屈みたいな、不毛な議論ってよくある。どっちが優れているなんて勝負は決着がつかないだろうし、議論の筋によっても変わってくる。
そもそも感情論と論理で争うのなら、それを議論するための思考方法はどっちを使うのかっていう、鶏卵問題に陥ったりもする。
それはまぁいいとして、今日思ったのは、感情論も定式化する事ができるんじゃないかなぁ、という事。
感情論にある普遍的共通の尺度、例えば「良い」「悪い」とかがあったとして、それを中心に感情論の推論が動いているとしたら、その軸を使って定式化できないか。完全は不可能だとしても、ある程度はできる気がする。
できたらどうだって?感情論に支配されている人を効率よく説得したり、んー。。。応用はいろいろあるんだろう。
というか誰かもうやってるのかな。
まずは感情論ってのがどういったものか正確にとらえて、定義する必要があるか。
感情論って論理の上に成り立っている気がする。ちよっと根拠づけがまだちゃんとできてないけど。名前にも「論」ってついてるし。もしそれが真ならば、感情論vs論理的というのは、二つの意味するものの層が違うので、その観点でもナンセンスな争いだっていう事になる。
たぶん、感情論は根拠(前提条件)が曖昧であったり、曖昧な定義を許容してたり、推論にちょっと無理があったりするんだと思う。分からん。ここはちゃんと考える必要がある。
ということで簡単にググってみたら、どうやら修辞学(Rhetorica)という、それらしきちゃんとした学問があるらしいということが分かった。関係してるか分からんが、これはとりあえず調べてみる必要があるな。
あとは、、、結構いろいろ争ってたりするブログのエントリとかが引っかかったりしますね。。。
こういうの、ちゃんと議論し尽して、文章まとめればいいドキュメントできるんだろうな。。。と思ってみたり。
まぁ突き詰めすぎて結局のところ、哲学みたいなものになっちゃって結局ナンセンスなものになる、と言うオチも若干見えるが。。。