国語審議会 [安田敏郎, 2007]

  • 日本語をめぐって昔 (特に戦後直後) から現在に至までにどういう議論があったか、「国語審議会」を中心に書いてある。
    • 全体的に国語審議会の歴史的な経緯にページが割かれているので、歴史に興味が持てない自分にはやや苦しかった。あと誰がどうしたとか、その辺もあまり興味が無かったので苦しめである。
  • 個人的にはどういう経緯で日本語がどうなった、みたいなところに興味が有ったので、そういう意味ではこの本はちょっと違ったかもね。
  • 日本語を一元的な管理に収めようとしたが、それは不可能であって、かつ意味のないこと、というのが主な著者の主張。いろんな日本語を同時に流通させることも可能だし、それを混沌だとか混乱だとかみなすべきではない、と主張されている。(p.22)

  • (p.17) 「情報局は独自に『ニッポンゴ』(1943年)という簡用語三百語(カタカナのみ)を選定した」
    • 日本にくる観光客、特にわざわざ日本語を覚えてまでくる人たちがいるわけだし、観光地で簡便な日本語とか、ふりがなみたいな配慮された案内ぐらいあってもいいんじゃないかと思っていたが、外国人向けに簡便な日本語が必要だった時代が昔 (戦前・戦中) にあったとは考えが及ばなかった。簡用語三百語はちょっと気になるのであとで調べる。
  • p.68 「『外国の地名・人名の書き方 (案)』に引き継がれる。・・・(中略)・・・『方針』に『外国の地名・人名 (中華民国の地名・人名は除く) は原則として片かなを用ひて書き』とある」
    • その辺までちゃんと方針作ってたのね。本とは関係ないんけど、(たぶん、多くの日本人にとっては) 中国の人名・地名は分かり辛すぎる、というか覚え辛すぎる。中華圏にいくといつも地名は基本的に漢字で覚えることになるんだけど (日本人敵には多分覚えやすいし、ガイドブックとか標識もそうなってるから) 例えば「広州」は頭の中では字面と日本語読み「コウシュウ」で覚える。が、当然現地人には伝わらず現地読みの「クワンチョウ」になる。しかし現地観光客向けには英語名の「Canton (カントン) 」と書いてあったりして、案内人も英語で喋れば当然「カントン」になる。こうして一つの場所に対して「広州 (广州)」「コウシュウ」「クワンチョウ」「カントン」といった具合にいくつも名前が出てくることになる。もう大変。特に香港の駅名とか漢字とかけ離れた英語名があったりするので、非常に困る。この辺の苦悩も当時から有ったのかなぁ。
  • p.106の送り仮名の付け方についての部分
    • 今まで外国人にとっての日本語の困難はほとんど漢字自体の読み方にあるかと思ってたけど、よく考えると送り仮名も相当難しいな。例外・慣用的な物も多いし。
  • p.113 「中国はローマ字への道を歩み出した。もはや、漢字を使う国は日本だけになろうとしている。」
    • えっ?そうなの??と思ったが、その後にも書いてあるがピンインの事で、別にローマ字化しようとしているわけではない(漢字廃止論者の都合のいい解釈らしい)。しかしいつの時代もそうなんだろうけど、この時代でも中国がどうしたとか、中国に負けて要られないとか、中国の属国になるようなことが有ってはならないだとか、もうほんとにいつの時代も皆さん中国大好きですよね。(僕もですが)
  • p.164 「この引用で見るように、敗戦後の小林の表記法は助詞をふくめて表音主義的」
    • “この引用”の部分→「国民の民主化、どうすれば行われるか・・・」
    • すごく幼稚に見えるこのような文体は「表音主義的」と呼ぶことを知った。「携帯小説みたいな」という形容詞しか知らなかったので、ぜひ使ってみたい言葉である。
  • p.263 「漢字を必要としない点字の効率のよさが、初等教育六年をかけて読む十二巻の読本を三年で学習できる、という盲学校長の話を引用する形で述べられている」
    • これは興味深いけど、このへん確かに漢字無い方が読めるようになるのは早いだろうけど、意味の正確性とかがどうなるのかがちょっと興味有りますね。
  • p.270 「だいたい、『書けなくても読める漢字』とはどう教えるのだろうか」
    • ちょっと意味が分からない。別に読みだけでも教えられる。
    • この辺も含めて、「終章 文字論をめぐって」あたりはちょっと意味不明な部分が多かった。意味不明と言うか、「いい文章は全てを語らない」的ないろなところを端折った書き方になってて、しかも多分根底にある持論が著者と僕で大分離れているので理解できていないような感じ。というかこの本全体的にそうなんだけど。
    • もうなんか文学系の人はほんと冗長で端折った文章かくから、読ませる割に意味不明な事が書いてあったりして苦労する
  • 人心の荒廃を直すだとか、情緒力を体得するために国語教育が行われている部分があるようだけど、もう『国語』のおごりですよね。習得すれば人心が豊になるとか、もう宗教かよって感じ。(著者もそんな論調では有るので、そうであれば激しく同意する)
  • 漢字が読めなかったり、書けなかったりするだけで、どんな奴からでもすぐに「学が無い」「バカだ」みたいに言われてしまう (明らかにテレビの影響である) とても世知辛い世の中ですが、日本語もひとつの道具でしかないという観点が大切である。

どうでもいいけど知らなかった言葉

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